絶望的な鬱の中で
毎日の、かえりみない飲酒生活の中で、
絶望的な鬱状態の心で、
否認の病の否認を正当化し、
いつの間にか僕は
『この先どうなってもかまわない。』
と思うようになっていた。
とくに欲しいものはない。
とくにしたいことはない。
何も楽しいと感じることはない。
この先きっと良いことはない。
今思うと僕の目は、死んだ魚の目よりもくすんでいたと思う。
出会い
鬱、苦しい、力がでない、無気力、希望がない、そんな言葉たちを検索窓に打ち込んでいた。
たぶんそれは、それらのSOSを受け止めてくれるなにかを探していたのだと思う。
そこで、アルコールによる底を体験し、断酒をされている方々のブログを知ることになる。
これまでもアルコール依存症のことは調べているつもりだった。
でもそれらは幻覚が見える、気を失う、など、どこか自分とは遠いところにいる人達(医者からみた患者さん達)の事だった。
でも、実際に底を経験して、禁酒、断酒されている方達のブログは、
間違いなく僕自身のことだった。
その綴られている言葉たちに、僕は否認をする理由はひとつもなかった。
洗脳が解けていく
たくさんのブログを読んだ。
そこに書かれているたくさんの言葉を調べた。
紹介されている本を読んだ。
アルコールの悪を知った。
断酒の希望を知った。
そして僕は、自分に問いかけた。
僕の心はこう答えた。
生きたいと。
もし何かのきっかけで、今苦しみながらこの文章を読んでくれている人がいるなら、伝えたいことがある。
あのとき、生きたいと答えてくれてありがとう。と言える日はきっとくると。