トンネルの先を確かめたいから。

断酒の先にある可能性を探しながら日々の想いを綴るブログ

断酒による時間についての変化


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いつもの喫茶店のいつもの席、いつものコーヒーを注文して型落ちのスマートフォンを開いてブログを打ち込む。

ビールを飲まなくなった僕の新しい日常。この新しい日常は、次の日の朝、最悪な気分になることもないし、突然言い知れぬ不安に襲われることもなく、日中頭を巡っていた考えを幾分整理することができるので気に入っている。

今日は時間について考えることが多かった。

これまで膨大に感じていたタスクの山を、最近サクサクとこなすことができている。

以前は考えただけで胸の奥を鷲掴みにされるような不安が頭を支配して、期限が直前になるまで目を背けていたそれらのものを、今は片っ端から片付けるのみならず、より良い形にしようという気持ちものせて遂行することができている。

同じ1時間、1分という単位の密度が明らかに変わってきている。



僕は与えられている時間に関して、人は平等であるとは思っていない。
それは今流行りの◯ガチャの話もそうだけれど、人が与えられた人生と言う時間の単位も、一定の部分においてガチャ的な要素が存在していると思っている。
それは遺伝であったり生まれた環境であったり、生まれた時代でも変わってくると思う。

そういった意味では人は生まれながらにして不平等だ。

しかし、そのガチャは引いたあとに、自分で当たりにすることも、外れにすることも、なかにはどうしよいもないこともあるけれど、かなり広範囲においてコントロールができるとも思っている。

分かりやすく言うと、酒を飲み続けていると、人生と言う時間の長さは外れに傾く。酒を飲むことで、心も体も、脳でさえも蝕まれ、結果的に元々与えられていたよりも、自分の“酒を飲む”という選択のおかげで短くなる。

また、アルコールは単に人生という時間の長さを縮めるだけではなく、飲み続けるほどに時間の密度を薄めていく。

僕は20年以上もの間、バケツでカウントした方が早い位のビールを毎日飲み続けた。

今振り替えると、その時間は霧がかかったように不鮮明であり、夢を見ていたようにあっという間だった。

その不鮮明であっという間だった時間、僕はひたすらビールを飲むことしか考えて居なかった。

だからただでさえ密度の薄い時間を、思考能力の成長さえも止めて過ごしていたことになる。
その間中、不安や恐れにかられ、それを忘れるために飲み続ける。

アルコールをやめた今、それがはっきりとわかる。


もしアルコールをやめなければと思いながら、この文書を読んでいる方がいたなら伝えておきたい。

あなたがもし、自分は駄目だ、自信が持てない、気持ちが沈んでどうにもならないと思い悩んでいたとすると、その原因は間違いなくアルコールであると。

アルコールを飲むという選択肢はガチャではない。お金と酒を同意のもとで交換し、自らの意思で飲む。

ただし、飲み続けた結果、取り返しのつかないことになるかどうかは全て外れのガチャを回し続けるくらい不毛な事だと僕は思う。

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