心のドアをノックする音が聞こえる。
心のドアをノックする音が聞こえる。
僕の心の内側から、小さくノックを続ける音が聞こえる。
その音は、そこに意識を集中していなければ様々な雑音にかき消されてしまう程、とっても小さな音だけれど。
ふとした拍子に確かに感じる。
大切な何かを思い出せそう。
心のドアを開けても、怖いことなんて起こらないのはわかっているけど、昔の僕は外側からとっても頑丈な鍵をかけた。
なんのためかは思い出せないけれど、今僕はこのドアを開けたいと思っている。
もうすぐ春ですね
子供の頃はあまり季節の移り変わりに関心がなかった。
春も夏も秋も、冬も。
本能的に季節ごとの遊びに没頭し、時には季節はずれの遊びも気にすることなく没頭した。
そんな季節を何周かするうち、いつの間にか大人になっていた。
この年になって時折思うことがある。
僕はあと何周、季節の移り変わりを体験するのだろう?
そして気分が落ち着いている時には、語尾は体験できるのだろうに変わる。
希望を先延ばしにすることは良くないことであるのは知っている。
でも、まだ今を捕まえきれない。
今を、一瞬一瞬を大切にした積み重ねの先を生きていきたい。
小さな幸せ
休日の夕方、突発的にサザエさん症候群に襲われ胸が少し締め付けられた。
何とかしなければと思い、今日という日の何かを残したくて、当てもなく百均に行った。
百均には、クリスマスシーズンということもあって、たくさんの飾りが並んでいた。
娘が小さかった頃、一緒にツリーに飾り付けをしたことを思い出し、また少し胸が締め付けられた。
それでもキラキラした飾りを眺めているうちに、先日購入したシルバーティーツリーに飾って見ようと思いたち、どれにしようか悩んでいる僕の心は少しワクワクしてきた。
ブルー系の玉が9つ入った物に決め、帰りの車で飾ることを想像したら、また少し心がワクワクした。
家にかえると箱を開け、早速ティーツリーに飾って見た。
庭に少しだけクリスマスムードが出てきたことで、いつの間にかサザエさん症候群は消えていた。
たとえ百円で購入した物であっても僕の心はワクワクすることができるという気付きは、僕にあたたかい何かを感じさせてくれた。
明日からクリスマスまで、仕事への行き帰りに飾り付けされたティーツリーを眺められる事を想像したら、幸せな気持ちになれた。
山が綺麗だ。
頭の中が少し混乱していて、何かをアウトプットしなければならない衝動にかられながら、じっとスマホを見つめていた。
でも、何もかけなくて顔を上げたら、車のフロントガラス越しに遠くの山が目に入った。
目に入った山の感想くらいならかけるだろうと、「山が綺麗だ」と書いてみた。
山は山として、遠くのあの場所に存在している。
おそらくずっと前から。
これまで自分を除く何人の人たちがあの山を見つめたのだろう?
それらの人たちはどんな思いで見つめていたのだろう。
これから先、百年後、千年後、あの山はずっとあそこにあり続けるだろう。
そのことに理由なんてないのと同じで、僕の頭を占領している物事たちもきっとたいした理由なんてない。
人間だから。
なんだろう?
誰だろう?
なぜだろう?
どうしよう?
たくさんの自分自身への答えの出ない問いかけに少し混乱する。
その問いかけの領域は、ほっておくとどんどん大きくなって、僕のこめかみはじんわりとした痛みを訴え始める。
そして強い睡魔におそわれ、眠り、朝を迎える。
摘芯
植物の剪定に摘芯という方法がある。
先端を切り詰める事で、植物の上に成長しようとする性質を幹を太くする方へと変化させ、より力強く育てるための大切な役割となる。
これを怠ると、幹が細いまま樹高は高くなり、場合によっては強風などの影響で折れたり、倒れたりしてしまう。
この摘芯は、人間でいう苦労に置き換える事ができる。
植物も人も同じ。