僕がアルコールを飲むことをやめてから、自分の中で大切に思うことが変わって来ているのを感じることがある。
アルコールを飲んでいたときは、今思うとある意味とてもシンプルで、飲むことだけが自分にとって大切なことであり、極端な話では決してなく、自分の命よりも大切だった。
そう、頑なに洗脳されていた。
きっとその洗脳の先に、アルコールへの依存による、何らかの、僕に対する終わりが待っていたのだと思う。
その何らかの終わりまでのカウントダウンは、日を追う毎に加速していたのであのまま進んでいたら僕はもう存在していなかったかも知れない。
仮に存在していたとしても、絶望の闇の中にいたことは間違いない。
結果的に今はアルコールを飲むことなく、毎日を送っている訳だけれども、やめた当初はとにかく1日1日を飲まないことを大切にしていた。
飲まないことによる、日々感じられるホンのささやかな気付きや好転を大切にしていた。
それらを大切にする事でしか自分を正当化出来なかっただけかも知れないけれど。
その頃僕は、このブログに執拗に壁期について記していた。当時まだ見ぬトンネルを抜け出した後の明るい未来を夢見て。
アルコールを飲むことをやめてから、何日が経過したかが数えてみないとわからなくなってきた頃、僕は自分の中の感覚をとても大切にするようになった。
五感が研ぎ澄まされ、いろいろなことに敏感になり、頬に触れる風や、聞こえてくる虫達の鳴き声、口にするものの味や目にする色彩といったものに感動し、生きていることの素晴らしさを実感するとともに、アルコールに洗脳されて身動きの取れなかった頃を遠い昔のように感じた。
ちょうどそのころ、回りの人達に対し無性に申し訳ない気持ちになったことを覚えている。
アルコールに洗脳されていた期間の自分の不甲斐なさに対して。
そして今、僕が大切だと捉えていることは時間。
アルコールを飲むことをやめてからもう少しで半年になる。
この時間は僕にとって、小学1年生の頃にも匹敵するほどの濃さがあり、様々な考え、経験をした期間になる。
この濃密な時間を自分が納得できる過ごし方をしたい。
それが今僕が大切にしたいこと。
断酒というものを始めると、たくさんの自分と向き合い、その結果たくさんの人たちのことを考えることになる。
そうするとそれまで気がつかなかったたくさんのことに気付くことができる。
そして、たくさんの大切なものをしることができる。
そのたくさんの大切なことを、少しでもたくさんの人たちに気づいてほしいと僕は願う。