トンネルの先を確かめたいから。

断酒の先にある可能性を探しながら日々の想いを綴るブログ

僕はアルコールを飲むことをやめたくて、このブログを書き始めた。

自分のその時の気持ちや、考えについて、包み隠さず吐き出したくてこのブログを書き始めた。

だから今日も書きたいことを自由に書く。

もしアルコールをやめたいと思っている人や、励みにしたいと思っている人が、たまたまこのブログを目にしているとしたら、その目的にはそぐわないと思う。

そして何らかの理由で、辛い思いをされている人にとっては、さらに不快な思いをさせてしまうかもしれない。

もしそうであるならば、不特定多数が見る可能性のあるこのような場で書くべきではない。そう思われる人もいると思うし、もっともだと思うけれど、勝手だけれど、どこかに繋がっているところで、僕のことを記さずにはいられなかったのが今の僕が保つためには必要なことなんだと勝手に思っている。



あれほど何かを吐き出したかったはずなのに、吐き出すことができない。

いつもそうして、言葉にすることを煩わしく思い、適当に取り繕い、生返事をし、時には聞こえないふりをしてきた。

僕は孤独なんだと思っていた。

でも僕は、自分の気持ちに向き合うことすら避けてきた気がする。



何か伝えたいことがあったとき、伝えようかどうか迷ってやめてしまう。

何か伝えたがっている人がいても、聞いているように見せかけて、心の中では違うことを思っている。

いつも演じている。

なんのためだかわからないけど、いつも何かを演じている。

本当はいつも何かに恐れている。


自分はどうしたいんだろう?

力がわいてこない。

僕は命が終わるとき、何を思うんだろう?



時々現実が現実として捉えにくくなる。

ここで今、こうしたらきっと一瞬で命は終わるんだろうな。

そんなことを思うことがある。

アルコールに溺れていたときと何ら変わっていない。

変わったのは、別に飲みたいと思わなくなったこと位かもしれない。

飲むことさえも煩わしい。

命のことを考えるとき、そこには他に誰もいない。


心が不安定なとき、それらの様子をネットで調べると、たくさんの病名がでてくる。

それらのひとつひとつに合致していても、なにも感じない。

時々じつはもう、死んでいて夢を見ているんじゃないか何て思うことがある。

死んでいたら夢なんて見ないのに。

今は何回目の人生なんだろうと思うことがある。

次は楽しかったらいいな、なんて。

次なんてないのに。

僕は多分本音を話すことがない。

家族にも本音を話す事はない。

なんだか面倒で。

だからなのかわからないけど、自分で自分の本音がわからない。

もしかしたら、これらも演じているだけなのかもしれないと思ったりもする。

なにも感じない。わからないひとを演じているだけ。

わからない。

僕がわからない。

ほしいもの。楽しいこと。大切な人。わからない

もしかしたら誰かに僕のことをわかってほしいと思っているのかも。

いまそう思った。

そのあと直ぐに面倒だと思った。