自分と話し、見つめ直すという事
このところ、自分の中にいる何人かの自分と話をする機会が多い。
といっても別に頭がおかしくなった訳ではなくって、事ある毎に、いや何もなくても気がつけば頭の中で自問自答している自分がいる。
“何人か”と記した訳は、その自問自答をする相手(自分)が時には後ろ向きであり、時には前向きであり、そして時にはとても投げやりになったりと、その時々で違った意見を繰り広げる不安定さから来ている。
この不安定さが断酒によるものかどうかは定かでは無いけれど(今日で断酒103日目になる)、少なくとも決してよい状態ではないと思う。
それは例えば仕事中に、夜寝る前に、誰かからのメールの着信に気づいたときに、不意に訪れる。
そのささやきの大半は、理由もなく『不安だ』や『寂しい』というネガティブなものが多く、みぞおちの辺りがきゅーっと締め付けられるようで、まるで子供の頃、日曜日の夕方になると感じた何とも言えない気持ちに似ている。
そして時には身近な人達、例えば両親や子供に対して、何だかとても申し訳無いような気持ちが押し寄せてくる。
その理由を確かめようと、自問自答を繰り返しても納得できる答えは見つからず、いつしか頭の中はぐちゃぐちゃになり、ヘトヘトになってしまう。
そんなこんなも、しばらくたって振り返ってみるとなんであんな気持ちになったんだろうと不思議がる自分がいたりと、自分と言う存在が分裂してしまったような思いにかられる。
『この気持ちはなんだろう?何かやらなければならないことを見落としてはいないか?いや明日は休みだし、特にしなければならない予定もない。予定がないときはどうすればいいんだろう?やりたいことはいくつかある。それをもしできなかったらどうしよう。こんな僕でいいんだろうか?もしかしたら大切ななにかを失ってしまってはいないか?なんだか疲れた。』
そんな具合に。
そんな状態に対し、不確定ながら、僕なりの勝手な仮定をたてるとすると、その原因はやっぱり断酒によるものだと思う。
それをもう少し正確に言うとすると、
『今まで飲んだくれていたことに対する付け』
と思うと、いくらか僕の頭はスッキリする。
いつだったか、アルコールを常時飲んでいると、その時間は理性や感情をコントロールする能力の成長が止まってしまう。
というような事を読んだことがある。
その時、僕はその事がとても府に落ちた気がした。
それまで僕は、
『若い頃はこれくらいの年代の人はもっと大人だと思っていた』
『僕の心にはまだ若者の気持ちが残っている』
なんて都合よく解釈していたけれど、結局のところ、アルコールが原因で成長できていなかっただけなんだ。という事に。
だから、急に押し寄せる不安は、止まっていた成長と今とのギャップに対する不安なのではないか?
と。
それが僕なりの今の不安定さに対する今のところの仮説になっている。
そう考えると、アルコールを飲んでいた時間、そのアルコールに頭を支配されていた時間、ざっと15年間くらいの時間、僕は成長出来なかったことになる。
その時間を後悔するか、今気づけたことを大切にするかによって、この先の僕の生き方が大きく変わる気がする。
だから僕は辛いとき、苦しいとき、こう思いたい。
『今は辛くても、苦しくても、もう僕の成長を妨げるものはない。だから一歩づつ、未来の自分のために成長していくだけ』
と。