僕がまだ子供だった頃、大人の人達は強くて完璧な存在だった。
大人になった今、僕は弱くて不完全な存在である事に気がついた。
なぜだか僕は、大人は楽しいとか嬉しいとか、そういった感情を持ち合わせない存在だと思っていた。
うまく言えないけれど、感情を超越した別の次元の絶対的な存在が、僕が思う大人の姿だった。
そんな大人という存在になる為に、誰かに認められる為に、毎日たくさんのアルコールを飲んで、身の回りのとっても狭い世界観を斜に構え、多くの様々な物事を浪費し生きてきた。
とても長い時間。
そのことで、自分を追い込み、深い自己嫌悪に陥り、アルコールを手放してから三年が経ち、気がついた事がある。
大人もか弱く、不完全な存在だけれど、楽しい時は心から楽しく、小さな事にも喜びを感じる。
逆に、残された時間を思うからこそ、子どもの頃には気にも止めなかった細やかな事も愛おしく感じる。
大人になるにつれ、加速度的に速くなる時の流れを大切に過ごして行きたいという事を、アロカシアの小さな新芽が気づかせてくれた。