トンネルの先を確かめたいから。

断酒の先にある可能性を探しながら日々の想いを綴るブログ

自分と向き合うということ。

僕がこのブログに何かを記したくなるとき、そこにはいつも共通点が存在する。

それは、自分と向き合う上で目の前にその時々の壁が存在しているということ。

今回も例外ではなく、消化しきれない壁が存在し、無意識的にブログというツールを使って気持ちの整理をしようとしていた。

自分と向き合おうと、自分の内側に進んでいこうとするとき、僕は時折まわりの言動にとても過敏に反応し、気持ちを抑えることが出来なくなる。

今回の壁がそれにあたる。

なぜ、どうして、自分と向き合おうとしていたのに、いつの間にかまわりのことが目につき、そして闇に沈んでゆく。

その闇の中で、まわりが見えないほど、真っ暗闇になったとき、不思議と光が差し込んでくる。

その光がどのようなものであるかを確かめるため、僕の自問自答がはじまる。

まわりをもっと許せばいい。

許すというのは見下している事にならないか?

上も下もなく、ただ理解する事が大切ではないか?

そもそも理解する必要はなく、ただ全てを受け入れることが、、、云々。



僕が多くの悩みに押しつぶされそうなように、まわりの人達も苦しみ、それぞれ何かを望んでいる。

その気付きが今回のブログの終着となる。