壁の崩壊
『壁期は、過去の自分自信に向き合い、その上で前を向ける準備ができたとき、抜けられるのでは、と今、は思っている。
乗り越えるべき壁は、目の前ではなく、過去を清算すること。
そののちに、見えてくる新しいなにかを知ることができた時、またそのことをこのブログに記せたら。
と、思っている。』
数日前、断酒による壁期についてのブログの最後にこう書いた。
今日、僕はその
“新しいなにか”
について記せることを願いながら、今このブログを書いる。
今は、8月2日の21時39分。
過去の自分に向き合うこと。
僕が断酒をはじめてから今日まで、たくさんの昔の自分を思いだし、忘れていたたくさんの記憶や、思い違いと再会した。
それらの僕は、
とても怖がりで、
弱虫で、
さみしがり屋で、
薄情で、
自分勝手で、
勇気があって、
優しくて、
一生懸命だった。
その、たくさんの僕は、毎日を良くも悪くも精一杯生きていた。
「完璧と言うものは存在しない。」
今ふと思い出した言葉。
けれど僕は不完全ながら、たしかにその時々に存在していた。
アルコールに溺れていた僕も、不完全ながら存在していた。
これまで、アルコールに依存していたことを後悔していましたが、あの時の僕もたくさんの不完全な僕の一人だった。
あの時の僕は、真っ暗な鬱の中で自分自身を否定し続けていたけれど、間違いなく僕だった。
過去の清算
昨日僕はふと思い立ち、兄の墓参りに行きました。昨年のお盆以来なので、約一年ぶりになる。
線香もお供え物も持たず、手ぶらでいった兄の墓には、まだ新しい花がいけられていた。
両親が最近来たことを僕は自然と理解した。
雲ひとつない青空のした、蝉の声を聞くともなしに聞きながら、断酒をしたことを報告した僕はいつの間にか涙を流していた。
その涙に意味を持たせるつもりはない。
ただ、自然と涙が流れていた。
今、23時15分になった。
結果的に
“新しいなにか”
に気づき、
記すことは今の僕にはできそうにない。
もしかすると、この先ずっとできないかもしれないし、する意味さえないのかもしれない。
でも、たとえ新しいなにかはなくても、すでにあったものに喜び、感謝し、笑いあい、助け合うことが出来る。
生きること自体が希望であるということ。
そう心から思えた僕のまえにも後ろにも、元々壁なんて存在しなかった。
それが僕の壁期の終わりを知らせる合図だった。