正直に生きるということ。
「自分に正直に生きる。」
そう願った時、僕は少し混乱する。
一見それは、自分が思う事を素直に受け止めて、思いのままに生きていく。
そう思いがちだけれど、その出所が僕の過去の経験や思考から来ているとすると、それを手放しで信用してはいけないと思うから。
でもそう思う理由は、僕の過去の経験に基づいているもので、、、なんて言う風に頭の中で堂々巡りが始まる。
自分の思考を信用できない訳
僕が自分の経験や思考を信用できない訳は、
『僕はアルコール依存症である』
という経験に基づいている。
経験に基づき、経験や思考が信用できない。
キリの無い堂々巡りはこのくらいにしておくとして、僕はアルコールへの依存や、それを絶ちきるための断酒を通して、如何に人は(僕は)洗脳されやすいのか、という事を知った。
というか今でも痛感している。
“洗脳”というものは、実際に依存の問題に直面するまでは、何処か遠いところで起こる、自分には縁の無いことだと思っていたけれど、依存を克服する過程において、現実にあり得る事であり、何十年も前から自分自身に刷り込まれていたことを知ったときはとても信じがたい事だった。
“洗脳は、自分とは無縁の事である。”
これも立派な洗脳の1つだと、今ならすんなり受け入れることができる。
再びブログを書こうと思った訳
これまでの
“ブログを書く。”
という行為を通して、僕はたくさんの過去の自分と出会い、振り返り、結果的に今は落ち込むこともあまりなく、毎日新しい発見に出会う事ができるようになった。
その毎日の中で、短い間だったけれどこの
“ブログを書く。”
という日課がとても貴重な、自分が存在していることを確かめる行為であったと振り返り、また書いてみようと思った。
誓約
ブログを再開するにあたって、自分なりに決めておきたいルールがある。
それは、
・世の中で言うところの、“事実” ではなくてもよいが、自分に正直に書く。
・元々断酒がブログのきっかけなので、スリップしたら、その旨を必ず書く。
そして、
『どんなに小さくても、自分の心の声に耳を傾け、その声を大切にする。』
ということ。
断酒を通して日々訪れる、自分自身の心の声と共に生きていく日常を綴っていくことが、ブログを休んでいる間、僕が一番したいと思ったことであり、その先にある何かを確かめたいと思った。