依存という鎖を1本ずつ消していく。
僕にとっての断酒とは、心身を縛り付けていたアルコールという鎖を引きちぎった、というよりも、
“消した”
という表現の方がしっくりくる。引きちぎったものは存在しているけれど、消したものはもう、存在していない。
今まで依存していたものを消していく。
ということは、とても勇気のいることだけれど、その一歩を踏み出すことができれば、依存していた過去が苦しいものであるほど喜びも大きくなる。
そんな、アルコールによる依存の鎖を消したあと、僕が消したいものの1つに、煙草がある。
僕と煙草
僕が煙草を吸い出したのは、アルコールと同様に、高校生のときだから、もう20年以上になる。
煙草に関しては、これまで何度も禁煙を試みては、挫折をしてきた。
最長で3ヶ月ほど続いた時もあったが、結果吸い続けながら今日に至っている。
そんな煙草に関しても、昨日のブログで洗脳について書いていたときふと、
『煙草も同じ』
という心の声が聞こえてきた気がした。
やはり数日前のブログに、
『どんなに小さくても、自分の心の声に耳を傾け、その声を大切にする。』
ということを書いた。
だから、僕の心の声を大切にしたいと思う。
思い当たること
断酒をはじめてから僕は時折、何かの拍子で怒りの感情を抱くことがあった。
その事に関して、昨日までは
『断酒によって麻痺していた感情が戻ってきた。』
と思っていた。
でも、今日怒りの感情が生まれたとき、煙草が原因であると、何故か府に落ちた。
アルコールを絶つことにより、些細なことにも喜びを感じることができるようになった。
一方でまだ、ニコチンによりドーパミンをコントロールされている自分がいる。
ニコチンにコントロールされている以上、自分で感情をコントロールすることはできない。
それが僕の心の声であり、その声の正しさを証明したい。
煙草に依存しないことによる、更なる充実した毎日を過ごしたい。
そう思った。
だから僕は次の1本として、ニコチンによる依存の鎖を消そうと決めた。