洗脳
“洗脳”
この言葉のことを、最近とてもよく考える。
「アルコール依存症とは、洗脳により始まり、洗脳により抜け出すことができない。」
僕がアルコール依存症になった原因は、“アルコールは良いものだ”という思い込みから始まった。
大人たちは皆アルコールを楽しそうに飲んでいるし、何か特別なときはアルコールで乾杯する。
そんなことを子供時代から身近に感じ続けた。
そして高校生になった頃、アルコールを飲むことは、大人の仲間入りをしたようで、格好いいと思い、そして飲み始めた。
社会人になると、アルコールが仕事の疲れを癒してくれると思い込み、そして更に多くのアルコールを飲むようになった。
多くのアルコールを飲めることを、男らしいと感じ、誇りに思った。
段々僕は、アルコールだけが心の支えであると信じ、その事だけを考えるようになった。
いつの間にかに僕は、アルコール以外の事を、どうでもよく感じ、興味を持つことが出来なくなった。
気づかぬうちに僕は、アルコール意外の事が怖くて仕方なくなった。
そんな僕は心身ともにアルコールに浸され、身動きが取れなくなった。
アルコールをやめる事は、耐えきれないほどの苦しみを味会わなければならないと思い、やめると言う選択肢を選ぶことが出来なかった。
これまで僕がアルコールに関して、
“思った”
“感じた”
“信じた”
の言葉の後ろに、今ならピッタリの言葉を当てはめることができる。
その言葉は
“のは、洗脳されていただけだった”
という事。
自分の脳を毎日アルコールで洗い続けた先に、僕の望むものはひとつもなかったし、洗うことをやめても、苦しみはなく、たくさんの望むものは、昔から、洗う前からずっと僕の近くに存在していた。