過度の飲酒習慣から、断酒に踏み切ることで脳に現れる事。
これは、僕なりに調べてはみたけれど残念ながら府に落ちる答えにはたどり着けていない。
きっとどこかに情報はあるはずだけれど、探し方が悪いのか、探すのをやめなければ見つからないのかはわからないけれど、見つからない以上、自分で記すことにする。
なのでここに書かれていることに対するエビデンスは、アルコールの依存から断酒に踏み切り4ヶ月程度が経過した、僕のたった一人の体験といくばくかの知識のみに基づいている。
まず、断酒をきっかけとして躁鬱状態が目まぐるしくおこる。
アルコールに依存していたときは、飲んでいるときは躁状態に、次の日の朝は鬱状態になり、その鬱々とした気持ちを晴らすためにまた飲むということを繰り返していたが、アルコールを摂取しなくなることで、シラフでも躁状態となり、それがいつの間にか鬱状態に変わる、ということを繰り返す。
ここで言う躁状態とは、ハイテンションになる、というよりかは、五感が研ぎ澄まされたような感覚に近い。
僕のこれまでのブログを読み返してみると、書いたときが躁だったのか鬱だったのかを容易に読み取ることができる。
この状態を繰り返している間(眠っている時意外)、それぞれの立場で物事を考え続けるので、ひどく頭を使うことになり極度の疲労感が全身を襲う。
断酒をすると調子がよくなり快適である、といった経験者のはなしを見聞すると、あまりの状況の違いに言い知れぬ不安を覚える。
僕が今日この記事を書いている理由は、同じような状況の方がこの記事を読んだなら、いくらかでも安心してもらえるのではないかという思いがある。
話を戻すと、非常に脳に負担をかけるのでベッドと背中がくっついてしまったかのように、朝の目覚めは決して良くない。但し二日酔いの朝よりはいくぶんかましな気がする。
時間の感覚についてふれると、集中しているときはより早く、そうでないときはより緩やかに感じる。
その時間の感覚に身を委ねることになれていないため、気持ちばかり焦ってくる。
ただし時間にたいして行ったことは以前よりもはるかに充足しており、振り返った時には安堵の気持ちに変わる。
自他の言動に敏感になる。
これまでアルコールに向けていた意識や思考に空いたスペースが生まれた分、今まであまり気にしていなかったことが気になり出す。
時間の経過とともにその触れ幅は小さくなっていくが、突発的に触れ幅が大きくなった時、スリップの危険性が増す。
一方他者に対しては、思い通りにならないことに対しもどかしさを感じ、焦りや怒りの感情がわいてくる。
断酒を続けることで自己肯定感は徐々に増してくるが、自分が求める像の方が勝っており、その解離が焦りを生んで、断酒の道を時折曇らせる。
ざっと思い付いた僕の経験を並べてみたが、忘れてはならないことは、どれをとっても飲酒時代よりも、“まし”であると言うこと。
あえて “まし” と書かせてもらったのはなりたい自己の姿には及ばないということ。
おそらくそれはもっと先にあると言うことを知ってほしいから。
これらが断酒4ヶ月を経過した、たった一人の経験をもとに記録した脳への影響。