断酒をはじめてから、‘時間’というものについて考えることが多くなった。
酒浸りだった頃は、とにかくいつも飲むことばかりを考えていたけれど、素面で過ごす時間ができた今、その時間をつかって時間のことをよく考える。
はじめの頃は、
どうしていいのかわからない。
それが僕が時間にたいして抱いた考えだった。
ほどなくして、
長く感じる。
それが僕が時間に関して感じたことだった。
この‘長く感じる’という感覚は退屈な時間が経過していく、というイメージではなく、充実した時間を過ごしても、まだこれしか経過していない。と後で振り返った時に感じられる、僕にとっては嬉しく、不思議な感覚だった。
その次に訪れた時間に対する感覚は、
‘勿体なかった’
というものだった。
酒浸りの生活を数十年も送り続けていたその時間で、どれ程のことができただろう?
もっと家族と有意義な時間を過ごすことができたはずなのに、気づいたらそれらの時間は過ぎ去ってしまった。
そんな時間に対する後悔が僕にたいして押し寄せてきた。
そして今、僕が時間にたいして感じることがある。
それは、
‘時間というものはとても大切なものであり、誰も相手の時間を浪費する権利はない’
という考え方だ。
もちろん、職場で部下の時間を使ってプロジェクトを進めていく必要にかられることはある。
しかしそれは給与の対価として合意の上で部下が許容している時間の範囲内に限られると思っている。
それを越える時間や、消費される時間に対してあまりにも薄い成果しか見込めないことがわかっている物事にたいして、時間をさかせることに、とても違和感を感じる。
以前に
[時間は人によって平等なのか不平等なのか?]
といった記事を書いたけれど、それぞれに与えられている時間は、使い方は様々あるがあらかじめ決められていると思っている。
その決められた時間を不用意に搾取することは、誰であっても許されることではない。
それはもちろん、僕の時間を搾取しようとする人たちにもあてはまる。
そんな時間に対する考え方を最近するようになって、自他を含めた時間の有効利用を大切にするようになった。
その行動は結果的に回りに対する不要な気遣いや遠慮に費やす時間も使用することがなくなり、結果的にとても効率的、且つ自己を肯定する機会に繋げることができている。
これも僕が断酒で得ることができたメリットのひとつだと思う。