ゆっくりと本を読む。
好きなアーティストの音楽を聞く。
と言った今まで楽しかった事に対する興味が薄れていった。
仕事では、どんな理不尽な事があっても意図的に淡々とこなしているつもりだったが、気づけばいつも抑揚のない生活を送るようになっていった。
これらの事も、人生経験を積んだからこその行動だと自分では納得していた。
些細なことがとても煩わしくなった。
元々子供の頃は、とても細かいところが気になる性格で、本棚に並べられた本の高さが規則的でないと気がすまなかったり、髪の毛の長さをミリ単位で気にするような性格だったが、読んだ本を本棚に戻すのが面倒になり、最近では上に記したように、本を読むこと自体が億劫で手に取ることも無くなっていった。
これらも全て、仕事で疲れているから、とか歳をとったからなどと、自分では納得していた。
というか今思うと納得させようと思っていただけだったと思う。
いつも見えない何かに追われていた(これは今現在もふとしたことで現れる)。
特に仕事では、絶対ミスをおかしてはならない。結果を出さなければならない。誰かに付け入る隙を与えてはいけない。
と気を抜く事が出来ず、些細な事さえ億劫な自分の、身を削る思いで、というか身を削りながら毎日を乗りきっていた。
そんな自分へのご褒美がビールだった。
毎日必要なビールは絶対切らすことなく、たとえどんなに疲れていても、体調が悪くても休む事なく飲み続けた。
今ならはっきりとわかる。
体の変化も思考の変化も、全てビールを飲み続けたからこその変化だと。
最初は単純に寛ぐために飲んでいたものが、それが原因で心身共に異常をきたし、その異常を忘れさせる為に飲み、更に悪循環に陥っていく。
その繰り返しによりビールが全てとなりその他の事はどうでも良くなっていく。
全ての不調には自分で勝手な理由をつけて、決して毎日のご褒美であるビールに疑いの目を向けない。
というか、疑いの目を向ける事で飲めなくなることを恐れ、必死に、しかも無意識にかばっていた。
と言った方が正しい答えだと、今は思っている。
ブログを書こうと思った訳を前の記事で記したが、
知っておく事の大切さ。
それは不調の原因が、自分が最も大切にしている物から来ている。
と言う事。
それを認める事の出来なかった僕は、アルコール依存症だった。