今、自らが望んだ時を過ごせていますか?
今、午後10時49分。僕は息子にもらったI♥️NYと書かれたビールジョッキに、牛乳多めのコーヒー牛乳を傍らに置いてこのブログを書いています。
今日は朝、来客用にケーキを買いに出かけ、来客とたのしい一時を過ごしたあと、家族で遅めのランチに車で30分程かけて中華料理を食べに行き、夕方奥さんとソフトクリームを食べに行き、猫と遊びながら、ブログを書いて、家族と一緒にテレビを見て、今に至ります。
例年のお盆休みであれば、シラフで居たのはケーキを買いにいくまでだと思います。それも運転しなければならないという理由でいやいや行ったでしょう。
何で昨日買っておかなかったんだなんて思いながら。
なので、今日経験したことは、以前の僕にとっては全てが望むこととかけ離れています。
以前の僕が望んだことは、休みなんだから朝から飲む。
だけです。
人は、できることなら、自分が望むように生きたいと思うことに疑う余地はありません。
でも、以前の僕が望んだ生き方は、今振り替えると疑うどころか、否定することしかできません。
朝から不機嫌でいやいや買い物に出かけ、そのあと酒を飲み続け、ろくに何も食べずに酔いつぶれてねる。
以前はそれを望んでいた。
本当に望んでいたかな?
いいえ。
だから必ずその後にとてつもない自己嫌悪が待っていました。
そしてまた、飲みました。
この連鎖を止めるには、仕事を辞めて、入院でもしなければ、と思いました。
別にどうなってもいい、と思いました。
足に力が入らず、別に歩けなくなってもいい、と思いました。
でも、その事でもう飲めなくなるかもしれない、という想像には至っていませんでした。
収入もなく、車イスになって、どうやって飲み続けるつもりだったのでしょう?
その答えは、
そんなことすら考えることができなくなっていた。
ということです。
その上で、
『今、望んだ時を過ごせているか?』
の問に
「はい。」
と答えられることの幸せをあなたにも知ってもらえたらと思っています。