トンネルの先を確かめたいから。

断酒の先にある可能性を探しながら日々の想いを綴るブログ

依存と洗脳




最近比較的コンスタントに書いていたblogが3日ほど止まった。

正確に言うとblog自体は書いてはいたけれど、それらは下書きのまま公開されることなく下書きフォルダーの中に積み上げられている。

このような状態になっている理由は明確で、前回の禁煙をテーマに書いたblogが影響している。

禁煙を継続(とはいっても2日ほど)しているときは、手が進まず(これも手が進まなかった理由はわかっていて、なんだか異常なほど疲れが出ていた)、今日、タバコに手を出したあとは何となく禁煙を失敗したこと、に直面することが億劫で、blogを書こうかどうか迷った末に今に至る(このblogが下書きに積み上がるかアップされるかは30分後くらいにはっきりすると思う)。

疲れの原因なんかを掘り下げていくと、きっとニコチンの離脱症状とかそっちの話にいくと思うのでここで触れることはよしておくけれど、改めてタバコに手を伸ばした時の心境を整理しておこうと思い、今日はこのblogを書き出すことにした。

今回の禁煙はタバコを吸いたいという欲求はほとんど起こらず、なんとなくこのまま吸わない日が続くのかな?程度に考えていた。

それでも手を伸ばした理由は、一言で言うとその程度の感覚だったことが何となく吸ってみように繋がったと思っている。


前回断酒したときの心境を少し書いたけれど、その時は自分自身の‘生きたい’という強い信念のようなものがあって、次はない、という固い決意が結果的にその後欲求に打ち勝ってこれたのだと思っている。

でも今回のタバコは(これまでの禁煙すべてが)、これも前回書いたことだけれどそこまでの決意がなく・・・



(とここまで書いてみてふと考えが変わったのでその方向で書いていく)

・決意が弱いから吸った
・そんなに自分にとって重要ではない
・また始めればよい
・少し嫌なことがあった
・恐らく吸わずにいられた

そんな言葉がこれまで頭の中をめぐっていたけれど、はたしてこれは本当のことだろうか?



その答えを僕は知っている。

これらの自問自答を含めたすべてが洗脳であると言うことを。

その洗脳は自ら断ち切るか、洗脳されたまま過ごしていき、取り返しのつかないところではたと気がつくか、のいづれかであると言うことを。

僕は幸いにもアルコールに関しては現在断ち切ることができているけれど、その時もたくさんの自分自身への言い訳がものすごいスピードで頭を駆け抜けていたことを僕は知っている。

・辛いことがあったから
・だれも僕をわかってくれないから
・こんなに頑張っているのに理解してくれないから
・自分勝手なことを言ってきたから
・悔しがらせてやりたいから


だから・の・む・ん・だ・

そんな誰がどう考えても、筋も何も通らない考えが僕をスリップに至らせようとしていたことを僕は知っている。

だから今回のこれらの言い訳もそれらと同じ、洗脳から来る自分に対する勝手な言い訳であり、しばらくするとそれらの整合性が全くないことに気がつける日が来ることを。

その事を再認識できた今回の禁煙はまた一歩、僕を成長させる機会であることを理解し、またささやかな挑戦を始める。



少し生意気な事を書いておくと、依存を断ち切ろうという意識に、少しの迷いが生じた時、一度その“まよいじたい”を疑ってかかる必要があると思っている。

刺激と、反応の、間の、スペースを、捉 え ら れ る か が、後の成功に影響すると思うから。


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